1978年は沢山のオーディションを受けました。Melody Makerの最終ページには名前の後に‘er’が付くプロのバンドの募集広告が殆どでした。‘no timewasters or bread heads’。一度すり抜けると成功という‘連鎖’が分かっていたので何とかしようと必死でした。いつくかのバンドは駄目でしたが有難いことに自分は信念を持っていました。
そしてある日Soundsのゴシップコラムの小さな小片にBrian Robertson と Jimmy Bainが若くてヤル気がありフレッシュなセカンドギター募集とありました。そりゃ僕の事だ!
1978年8月23日僕は(どこかは忘れましたが)ロンドンでオーディションを受けたんですけど、二人の中心メンバーと当時のドラムKenny Jonesらがいました。オーディションは上手く行き合格する事が出来たんです。最初のギグの頃にはKennyは脱退しドラムは元Lone StarのDixie Leeが参加しました。Dixieも1ツアー後には脱退しています。恐らく‘音楽的相違’だったと思います。
後任には当時大変仲が良かったClive Edwards参加します。
BrianがThin Lizzyを脱退。Gary Mooreが代わりにThin Lizzyに参加し、マネージメントはThin Lizzy時代の会社が行っていたBrian。素晴らしいライブ盤をレコーディングしたクラシックラインアップのRainbowに居たJimmy Bain。当初はバンドメンバーとして圧倒される気分でした。時が経つにつれてバンドが成功する事は無いことは明らかでしたが、それでも大変良い基礎が出来た事は良かったと思います。
新しいバンドとして町では注目され、羽目を外す事を覚えるのでした。私は当時ピークにあったPhil Lynottとつるんでいました。バンドは数曲良い曲はあったんですがメディアからはThin Lizzyのクローンと見なされていた思います。
振り返ってみるとフェアな評価だったと思います。ですが故意であろうと、その他の点ではいつも楽しいバンドだったと思います。ファーストアルバムの評価は上々で1979年にはレディングフェスティバルにも出演しました。しかし自分は更なる進化を求めていたのでした。
その頃Phil Collenと知り合います。彼がGirlに居た時で彼を通してUFOに紹介されることとなります。Rock trivia #1; At Wild Horses’ first gig in Sheffield in November 1978 the ‘humpers’ at the gigにはDef Leppardの若い連中がいてEPをちょうどリリースしたばかりでした。Joe Elliotが書いてくれた彼のお母さん家の電話番号は今でも持っています。何て良い奴なんだろう。

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