UFO

UFO Poland 1983 New.jpg僕がWild Horsesにウンザリして来ていた1980年にPaul RaymondがUFOから追い出されようとしていたのです。

現在は円満に再結成していますが、数年間の一時的な異常な大掛かりな計画が立てられていた時期にPhil CollenからUFOに紹介された僕はトライアウトを受けることと成ります。 僕は数曲習い、練習をしました。(Ted NugentのサポートだったWild HorsesのHammersmith Odeonのツアー中に部屋でLights Outを練習していたのを思い出します。)

僕はキーボード、ギター、バッキングボーカルをしていたPaulの後釜としては理想的だったんでスムーズに事は運び大変エキサイティングなチャレンジに思えました。彼等には決して言わなかったのですがオーディションまでハモンドオルガンを近くで見たこともなかった僕は最初の数週間知ってるフリをして通したんです。

最初の3回のミニツアー迄セット全てを覚えるには短い時間しかありませんでした。このツアー3回目は土曜の夜のレディングフェスティバルのトリだったんです….その時までにはプレッシャーはありませんでした。

'The Wild, the Willing and the Innocent'のレコーディングの真っ只中にバンドに加入した僕の貢献は殆どがバッキングボーカルと悪名高き'Lonely Heart'のサックスでした。Philはあの頃少々Bruce Springsteenに嵌っていて僕が思うに、この影響があったのだと思います。 このアルバムには数曲良い曲があり、'Profession of Violence'のストリングアレンジは大変素晴らしいんです。

このUKツアーの後、Cheap Tickとの全米ツアーがありました。私にとっては初のスタジアムロックであり、UFOは絶好調だったのです。 僕たちは又、独自のツアーで僕たちにとって人気のあったサウス、ミッドウエスト、ウエストコーストを廻りました。その当時僕は曲を書き始め、この事はロードでの気晴らしとなりました。'Mechanix'は僕が本格的に参加したアルバムでスイスはモントルーにあるQueenのスタジオでレコーディングし曲を書きました。 この事はどうしても安くつくものではなく、バンドはいつも沢山の借金をレコード会社にしたいたのでした。

Gary Lyonsのプロデュースはまずまずで、一、二曲素晴らしい曲がありましたが、Peteはひどく気に入ってなかったのです。なぜかと言うとキーボード、サックスでした。ツアー終了後に彼はバンドを出て行きました。その期間の僕はバンドにとって厄介者の害悪な若造だったのかもしれません。(キーボードが前面に出ているなど・・・)でもアノ頃僕のパートについて意図があった訳ではなかったんです。素直に素晴らしいアルバムを作ろうという熱意だけだったんです。

僕等は長期間Ozzy OsbourneやRainbow、沢山のキャスト達とアメリカツアーを行いました。多くの日程、多くの異なる現代のビッグネーム;Heart, Iron Maiden, Motley Crue, Blue Oyster Cult, Foreigner等…素晴らしい時間や嫌な時間を過ごした中でPhilがステージでのわいせつ行為で強制連行されたり、プレイ中に動物や爬虫類がステージに投げ込まれることありました。

オーディエンスは明らかに僕たちがOzzyと同じ食の嗜好があったと思っていたようでした。 僕の個人的なフェイバリットはコンサートでOzzyがアラモの砦上で排尿したことをKKKが憤慨した為、僕等はあの夜急いで逃げたことです。今でも笑ってしまいます。

このサイトのツアーデイトページを見て頂ければ分かると思いますがUFOはかなりハードに働いていたので経済的報酬を得ていたと思うでしょうが・・・バンドはそんな事はありませんでした。(誰が得ていたかは知ってるつもりですけど・・・)現在でも僕が共作した曲が沢山再リリースされているのを見かけますが、誰が報酬を得てるのでしょう!僕の世間知らずでお人よしの部分としておきましょう。

Pete脱退後(Philは「彼は出て行くなんて実際に言ってないし、ただ言い訳してるだけだ」と表現していました。)Paulと僕は'Making Contact'のベースの職務を僕等でこなしたのです。 Gary Lyonsとの作業が休止した後、Mick Glossopをプロデューサーに迎えたのですが彼を選んだことは素晴らしい選択でアルバムはスムーズに進行したのです。

僕はこのアルバムが困難な時期に制作されたこと、有名作にはならなかったけれど誇りに思っています。Billy Sheehanが参加してツアーがスタートしましたが、物事が確実に下降していたこともありアテネのギグで悲惨な状況に陥り、ツアーを途中で切り上げてしまいました….

もし続けていても最悪な状況は避けられそうにもなかったので賢明な選択だったと思います。 冷却期間を充分に取り僕等はフェアウエル英国ツアーを決断しましたがPhilと残りのバンドメンバー間は冷めてしまっていたのですが僕等はやり通し、'Headstone'のライブパートをスタジオでミックスすることもしました。

Philは数少ないメンバーチェンジを行い新たな人達と再結成したことはご存知かと思います。彼等にとっては良いことでしょう。 読書家の方にはMartin Popoffが著作したUFOに関する書籍'Shoot out the Lights'をお勧めします。

Linkページにある彼のサイトで購入することが出来ます。 UFOを好きな方には各アルバム製作の実態を多数のインタビューにより知ることが出来ます。 PaulとAndyそして僕は一緒に活動を続けたいと思っていました。でも明らかにUFO ではありません。

僕のボーカルで数曲のデモを録音していたのですが、UFOの最後のギグで二つの謎めいたアプローチがありました。一つはメンバーチェンジ繰り返したメガバンド(僕はディスカウントの対象でした)  もう一つは当時ソロとしてのキャリアを気づいていたGary Mooreから…う〜ん、そそられました。