1983年、UFO崩壊は公然となり、僕はGary Mooreに招かれ彼とプレイしました。Garyはソロのキャリアを築いていた時期でありIan Paice Neil Murray Don Aireyと夏のツアーを終えたばかりでした。僕が覚えていることは、DonはDef LeppardのオープニングアクトとしてのUSAツアーを続けることが出来なかったので後任を急ぐ必要があったのです。
Garyはリードシンガーとしても実験を試みていたのですが、僕が思うに曲に順応に適応できる第四のメンバーを必要としていたのでしょう。僕にとってあの時は少々ステップとしては後退するかなと感じてました。Garyはまだアメリカでは名声を築いていなかったからなのですが、僕は彼が希望の星であると感じていてプロジェクトは下降というよりはむしろ上昇していました。冒頭のUFOのように。実際に、賢明な決意となったのです。
‘Victims’の曲を僕等は書き始め、数曲は僕との共作です。最も有名なものは’Empty Rooms’で、ずっと僕を支えてくれています。アルバムはIan Paiceとスタートし、過程では少数のドラマー使いました。Neil Murrayはどこかで失いました。あのアルバムはSladeのNoddy Holderが参加したことが有名です。
( 'Neilついて'オフィシャル "Victims Of The Future World Tour '84" tour proramme, 1984より)
ツアーはCraig Gruber Ian Paice Bobby Chouinard Paul Thompsonで行われました。Paulは素晴らしい人でドニントンでプレイし、‘Emerald Isles’のビデオでも一緒です。この頃にBob Daisleyが参加、僕が居た最後まで一緒でした。(短期間のGlenn Hughesとの関係を除く)GlennはRun For Coverツアー前にGary Fergusonを紹介してくれました。彼は大変素晴らしいドラマーでバンド内でしっかりとした役割を果たしてくれました。
Run For CoverではGaryの本当の成功であるPhil LynottとのシングルOut In The Fieldsを垣間見ることが出来ます。Garyは彼にふさわしい注目を得ることが出来、僕等全員結果として恩恵を受けることが出来たのです。Empty RoomsはPeter Collinsプロデュースで再レコーディングされ、好セールスを至る所で挙げることとなりました。冗談でいつも言うのですがアノ曲のお陰で家を買うことができたと、ですが幾年にも渡り恐らくそうだったと思います。テレビにも幾つか出演しました。Top Of The Pops 、The Old Grey Whistle Test等の当時有名な番組に。そして世界ツアーも行われました。日本は大きなマーケットでありScandinaviaはGaryを燃え上がらせたのです。楽しい思い出これらのツアーにはあります。
( 'Neilについて' the official "Live in '85" tour proramme, 1985より)
この頃僕等はGermany、Swedenで行われたQueenの大きなフェスティバルでプレイしました。Queenは僕にとっての大きな影響を与えたグループの一つで彼等と同じステージでプレイで来た事は僕のキャリアのハイライトとなりました。
素晴らしい曲が入っている僕のフェイバリットアルバムであるWild Frontierレコーディングの為スタジオに戻りました。このアルバムは皮肉にも最先端のキーボード(Fairlightsなど)を導入したことにより僕の賢明なプレイは少ないです。勿論Chieftainsが提供してくれた本物のサウンドもあります。
ですが僕はOver The Hills、Thunder Risingが好きです。Eric Singerをドラムに迎えてのツアーでのこれらの曲はライブでの素晴らしいサウンドでした。この時は成功が大きくなったこともありより大きな会場となりました。魔法のような時と、東京から、OsloそしてSheffieldの素晴らしい聴衆!Stockholmで撮影されたLive At IsstadionヴィデオはScandinaviaでは最高のセールスを記録し、沢山の国でゴールドを獲得したのです。
1988年前半にGaryと僕はDublinへ行き’After the War’のレコーディングを開始。モダンなエッジが増えていましたがケルト色の継続でした。このアルバムにはBlood Of Emeraldsという大作が入っています。これは僕が英国で書き始め、Garyが素晴らしい高みへと昇華させました。
Cozy Powellは数曲でプレイし、ツアーに参加する予定でしたが、リハーサル等で上手く行かず僕等は再考することとなりツアーの初日をキャンセルしたのです。Chris Sladeが参加、セットを短時間で覚えてくれましたが、それはストレスの多い時間で彼とのステージはしっくりと行かなかったのです。ツアーは成功で日本、Europe、Scandinaviaを廻りましたがアメリカは行きませんでした。
このツアー中サウンドチェックでは延々とブルースがプレイされたのですが私に参加する余地はありませんでした。この事を通して、そしてBob Daisleyからの無理やり的なこともあってGaryはブルースアルバムを作る事を考えたんだと思います。振り返ってみるとGaryは使い古された沢山のアイリッシュリールをプレイし始める前に新しい事をする必要があったんだと思います。そういう事で1989年5月にEdinburghで行われたツアーがGaryとステージに立った最後となりました。

=TOP=