私たちが時が経って自分自身の事を考えることがあります…. 16年経った現在Neil Carterはどのように過ごしてきたのでしょう!そのような事を自問している自分が居ました。
ロックの世界から立ち去った事は、平穏無事なことでした。Garyは私たちが知ってる通りStill Got The Bluesへ立ち去ってしまいましたが、僕の中の一部では彼が「別のアルバムを作ろう!」と言うと思っていたし、別の部分では言って欲しくないとも思っていました。After The Warの頃にはワクワクしない自分が居たと思うし、90分のステージは興奮物でしたが、最後には苦痛となっていました。その当時に現在のパートナーと出会いシンプルな家庭生活を求めるようになったのですがロックの世界でやる事はやったと感じていたのでした。エンドレスなUFOとのツアーで代価を払い、情熱レベルが低くなっていたのです。
そういう事で一年の休養を取った僕はちょうど30歳で次に何をしようといったアイデアは一切ありませんでした。お金は問題ではなく、身の回りの事をしたり、自分のデモを作ったり、ギターの奇才Peter Grantと仕事をしたりして過ごしました。又、West Endのミュージカルのディレクターを暫くしたんです。(これは死よりも悪かった)それから僕はピアノ、クラリネットのレッスンも始め忙しくしていました。うわっ!
これらのデモは1990年始めにスタジオでレコーディングしたもので、全ての楽器、ボーカルを僕自身でこなしました。僕は多数の未発のマテリアルを持っていたので、それらの中から数曲を契約のあったVirginに提出しました。僕は又それらを結局やるというぼんやりとしたアイデアがあったのですが出版社の事務所の椅子に座っていたときに悟ったんです。
僕の周りにある沢山のテープ、これらの中の曲をTina Turnerが歌ってくれるなんてとんでもなく低い確率なんだと気付きました。その時にもう充分だと思ったんです。でもそれらのテープはずっと傍にあったのでこのページで紹介しています。誰も聞いたことが無いですからね。少し残念ですけどね。(僕のギタープレイを聞いた方は半信半疑に思うかもしれませんけど!)
僕がロックミュージシャンになったと同様に、クラシックを演奏することに再び喜びを感じ始めました。僕は狂ったように基礎を学び、資格を得ることが出来たのです。そして本気で音楽の教師として始動しました。おかしなことですが、13年も続けてきたステージを恋しく思ったことは一度もありません。変ですね。
今は1980年から住んでいるBrightonの男女共学の私立学校Brighton Collegeの木管楽器、金管楽器の学部長をしています。60人以上のクラリネット、サックスの生徒がいて、大きなコンサートバンドやスウィングバンドの指揮をしています。2003年には英国王立音楽検定の試験官になりました。その事は僕にとっては考えても見なかった事で、認められた事を大変誇りに思っています。この職務には、全専門分野の音楽の実技試験や将来的には香港やマレーシアでの試験も含まれています。僕の経歴を面接時に言う事は大変面白いんです。
理解し難いかもしれませんが、今の生活に後悔はありませんし、教鞭を取っている生徒達と触れ合うことに大変な喜びを得ています。ここ数年僕は大変素晴らしい若い人達と出会い彼等に何らかの成果を与える事や音楽の喜びを与えられればと希望しています。いろいろな事で僕の以前の生活と異なってはいません!
Gary Moore、Bob Daisley、Paul Chapmanとは今でのコンタクトを取っていて、時々カムバックの話がでます が 正直な気持ちとして‘やり終えた’という思いがありますし、あの世界を恋しいと思うこともないです。奇妙なことにベスト物コンピレーションや再発があって年に二回印税のお知らせが郵便箱に入ってきますので完全に消え去っている分けではありません。沢山という分けではありませんので、’Crazy Train’を書いていたらなぁと思うよBob!
このサイトするという事は一つの整理でもあり、充分にこの事が出来ればスーツケース4個分にもなる16年分の思い出の品々を処分することが出来ます。
もし何か知りたいことや、僕の記憶違いがあればこのサイトを通して気軽にコンタクトしてください。
皆に乾杯!!
Neil

Before